仕事始めと遅めのお花見

研修が終わって3日から仕事がスタートした。

配属先が予想外で同期で1人だけ神奈川だったんだけど、お店でずっと映画アメリのサントラが流れてる。

 

フランスのせかせかしたようなリズムを聞きながら電卓を叩いて目が回りそうな日々😂

 

遅くなったけど先週末滑り込みでお花見にいった。

久々に弁当を作って公園で桜を見ながら食べたお花見すごい楽しかった。

その後街を案内してもらいながら

2人でのほほんと庭園みたり、きびだんご食べたり。

あぁ、こういうのが幸せだったなって。

こういう日々をこれから選んでいきたいなって素直に思った。

 

やっぱり自分の価値観って生まれた時からなかなか変われないのかもしれない。

特に自分はありふれたものが好きだから。他人から見たら身に余る贅沢を受けているように見えてるかもしれないけど

、実際のところ荒んだ毎日で疲れきってた。

 

先月実家に帰ったら久々に会った高校の同級生になんか顔変わった?って心配されて、自分でも心配になってきた。

いよいよ時が来たんだろう。

 

その友達には恋人と一緒にいても、必ずしも楽しいって訳じゃないんじゃない?

って言われて、その時はピンと来なかったけど、お花見に行って気づいた。

確かにまぁ楽しいは楽しいけど、

テンション上がる!ってわけではなくて

"ただただ幸せ"って感じだった。

 

楽しいとかじゃなくて楽って感じが近い。

一緒に居ても気を遣わなくていいし、

食べ物の好みも大体一緒だし、

物事に対する探究心も合うから

大抵どこいっても楽しいし。

もはや出会ってから時が経ちすぎてるからなんて言ったらいいのか…

本当に空気に近い。

 

家族がこういうものだったらいいのにな。

ああああああ

最近休み無くバイト制作と何かしら忙しくしてたけど、地味に嫌なことは続くし。理不尽は耐えがたい。

 

やらなきゃいけないことはできてないし。なんかもう何もやる気でなくて辛い。辛い。しんどい。

急に不運続くし。

あーもう浮上の仕方がわからないよ。

あああああああああああああ

 

 

ああああいあああああ

全然関係ないけど、今更になって

「花束みたいな恋をした」

を見たんだよ。

最近映画見てなかったんだけど、

この前偶々行った美容室にテレビがあったから見てみたの。

 

 

なんというか、程よいタイミングで見た気がした。

坂元さんも、有村架純ちゃんも好きなのに、、なぜかラブストーリーってだけでダルかった。

どうせいつか見るからって、年単位で放置してたけど。

今だったんだなーって。

 

一緒にいても生きてく上で価値観って変わってきたりするからさ。

最初から違えばまだ受け止められるかもしれんけど。

どっちがいい、悪いの話じゃないんだよなーと。

人生に求める価値が違うんだから。

そこが違うとどうしても、

貶め合ったりしちゃうんだよ。

正直自分には菅田将暉演じる麦の生き方や、価値観の変わり様にはあんまり共感出来なかった。自分が彼女なら結婚結婚って…

結婚の為に自分を殺してほしくない。

麦が不必要に感じて捨てた部分を絹は好きだったから。

…今日日あのような女めいた男はいるのか?甚だ疑問だ。

 

一方彼女の絹の言いたいことはわかる。仕事は生きる上で勿論大切。

でも、どうせ生きるなら人生で豊かな時間を過ごしたい。本当に好きな人達や物や文化に囲まれて、生活できる僅かなお金と家があれば。

それだけで、幸せなんだよね。

 

色々やってみたけど、自分はお金の為だけには働けない人間だった。

心はお金じゃ買えない。

そういう人の方が贅沢で人生苦労するよな。

 

いつか幸せになれるかな。

幸せがなにかもわからないけど。

違和感

自分が求めているものは

何となく、そこにはないんだろう。

 

夢にまで見ていたチャンスが

今、目の前に広がっているのに。

…なんでなんだろう。

 

なんだかちょっとタイミングが違う気がする。

ただ一緒に居られるだけでいいと思ってたのに、きっと気持ちを求めてしまう日が来るんだろう。

 

怖い。

 

 

卒制にして、今初めて絵画制作をしている感覚がある。

絵画制作は運動記憶だ。

 

ドローイングからテーマを抽出し、

作品の核となる要素を論理的に用意する。そして感覚的な表現を展開しながらデッサンの要領を活かす。

 

大きな作品を一枚作れば

ドローイング、デッサン、それぞれの必要性が見えてくる。

 

それを言い表すのに

自分の場合は絵を描くという表現は適していなかった。

脳の状態は意識と潜在意識の中間で、

描くのではなく、触れている感覚に近い。

占いは潜在意識を見つめるけど、

絵画は触れる。

 

その今の感覚を大切にしたい。

 

わはは

 

最近私が好きな仕事をしている人の

好きな人のInstagramを見たんだけど、

所謂長文ダラダラ文学作品みたいな文章を書く人で、途端に寒気がした。

自意識過剰ナルシストが苦手なのかもしれないなー

死ぬ程どうでもよく思えてしまう。

 

言葉とか、文章って一番人との相性が顕著になるツールだよね。

理解したら好きになることもあるけれど。

 

その好きな人の好きな人の文章は

私の好きな人に変化を求めるような内容だったんだけど、人に変化を求めるとは何事って感じだし、仮にお前が好きな人に飽きていようと私は今の好きな人に魅力を感じているわけで、そんなの本人が求めた時でいいじゃないかと思ってしまった。

まぁ、優しさなんだろうけども。

 

宗教

人生で何度も何度も巡ってくるものには

必然的に縁を感じる。

物なら写真、本なら聖書。

逃れようとして諦め、受け入れる。

聖書…宗教は小さい頃から特に身近で、

先祖はどちらも仏教徒だけど、

母や叔父はクリスチャンだった。

特に叔父は熱心で、上京するのにポケットバイブルを手紙に同封して渡してくる様な人だ。

私は宗教の本質を理解していない様な人間は好かないので、短気な叔父も勿論苦手だった。

そんな叔父から頂いた聖書は読む気になれず、部屋に置いておくのも気持ち悪いと思ったので、アパートのベランダで火をつけて燃やしてしまった。

紙が燃えていくなかで、私はもう天国とかには行けないのかな…と思い浮かべつつ、極楽浄土という選択に賭けることにした。

当時、私が住んでいたアパートは、壁が非常に薄っぺらい構造で、隣のカップル達の会話がよく聞こえていていた。

聖書が本格的に燃え出した頃、

「なんか焦げ臭くない??」

と、隣室から聞こえたので、急いで

燃えているものを部屋に持ち帰り

鎮火させ、残骸を捨てた。

はぁ、ようやくこれで親戚の異様さから逃れられた。

安寧の地を築く第一歩だった。

 

 

その他変な宗教の勧誘にあったりしたこともあったが、

そんな出来事は人生のほんの一部で、

私は宗教に対し拒絶しているわけではない。

寧ろ前向きな人間ですらある。

 

 

では、宗教心を持った人間とはなんであるか。

大きく分類してしまえば人間は2種類に分けられると、私は考える。それは、

「生きる為に生きる人間」と

「死ぬ為に生きる人間」の2つだ。

 

別の言い方をすれば、欲深いか、執着心

があるかとか、そういったことなんだと思う。

これは善悪の問題ではない。

生きるには欲が必要不可欠だからだ。

聖書は人間の欲に対して否定的であり、人間らしい人間の本ではない。

ある種人間性の否定だ。

仮に人間性が否定されることが正しいとするならば、私達は今ここにいないだろう。

重要なのは生死のバランスを取ることだ。

ピュアな人は天に程近い。

人間界で生きるには狡さや欲を身につけて、罪が必要なときもある。

反対に、人間としてのエネルギーが強く

欲深い人は、聖書から学べばバランスが取れる。

どちらかに片寄れば、

精神的苦痛や不満、早死に繋がると考えられる。

 

総じて言えば、宗教とは自立に必要な学びに過ぎない。

偶像崇拝はメタファー表現でしかないのではないだろうか。

神社の本殿に鏡が置いてあるのはその為だと考えられる。

人は弱く、自信がなくなると何かに縋りたくなり神に祈る。

そんな時ですら、祈るだけで事態が解決することはないと、誰しも心底では理解しているはずだ。

偶像崇拝は自分を信じきれなくなった時、神に縋る様な構図で、自分に祈りを注ぎ、自信を付けさせる為の最終手段のように思う。

 

 

 

 

夏の問題点

 

梅雨に突入すると

気圧の変動で自律神経のバランスが崩れて、体調不良になる人が増える。

自律神経のバランスが崩れたり

湿度が上がると脾臓の働きが低下して

消化機能が落ち、夏バテと言われるものになる。

 

 

最近はそれの悪化バージョンみたいな感じだった。

 

2年前に腹膜炎か定かでない症状で入院してから毎年夏は腸が痛くなる。

 

お腹を壊して微熱も出るので、

恐らく軽度の腸炎なんだろうと思いつつも、病院へ行ったところで整腸剤、点滴、最悪絶食入院が待っている。

 

学校に通えなくなるので入院は避けたい。

 

 

色々調べてみたり実験した結果

消化機能が落ちている時にグルテン

合わないらしい。

夏は手頃な麺類が食べたくなるけど、

我慢しよう。

パンも好きだけど我慢しよう。

 

 

YouTubeで生米からパンを作っている

動画を見つけたので実践してみた。

ちょっとフィナンシェっぽい食感なので

アーモンドプードルを入れて

いっそスイーツにしてしまうのもありだと思った。

食感はもちもちしていて、香ばしく焼けているところはおこげのような味がして美味しかった。

 

そんな風に最近は少し自分と食に寄り添ってみようと心を砕いた。

 

 

今の自分の中で食が負の要素でできていることが悲しいし、生きてる上での問題の一つなんだろうなーとは思う。

三大欲求、嘘だな